2009年10月6日火曜日

全身全霊

JAL SKAYWARDにて澤野計さんの写真を撮らせてもらいました。

中学生の頃から世界中、色んな所に行ってみたくて、
フライトアテンダントになろうって漠然と夢を見てた。
18の時、
アメリカの大学に入る為に初めて乗った飛行機はJALだった。
その時はまだSKYWARDではなくてWindsと言う名前だったけど、
まだ日本語への未練が捨て切れていなかった僕は、
全部読んでも読み足らず、バックに入れて飛行機を降りた。
あの時の僕がまさか将来この雑誌で写真を撮る事になるとは
思っても見なかっただろうな・・・。
日本航空をご利用の際は、是非ご覧下さい。

澤野計さんは世の中にフィルムを残す為に活動されている方です。
その活動の一環であるトークセッションを、
utsuroiという映画にされたそうです。

最近色んな方が亡くなられている印象がとても強くて、
「いつか会えるのかな」と心のどこかで思っていたから、
「もう会えないんだ」と思うとすごく心苦しい。
いつまでも「そのまま」でいる人なんていないんだ、
時は流れているんだぁ〜と思う。
それは人に限らず物もそう。
それによって世の中全体が流れている。
しかもそれは自分が思っているよりも、
早く、時に「厳しい」。

写真は「フィルムで撮るもの」と言うのが小さな頃から当たり前だった。
でも高校生の頃からそれは少しずつ変わって来ていて、
きっと今の小さな子はデジタルで撮るのが当たり前。
彼らかすればなんでフィルムなんて存在するのだろう?
って感じなんだろう。
敢えてここではフィルムの重要性は言ったりはしないけど、
「何かいやだな。」「どうにかしないとな。」を
時代の流れに真っ向からぶつかりながらも、
実際に行動に移している澤野計さんは本当にすごいし、
心から尊敬しています。
そして、ありがとうございます。

1964年埼玉県生まれ。カリフォルニア州パサデナ市立大学にてコミュニケーションを専攻。東北新社CM本部プロダクションマネージャーからスタートしOJTで映像制作を学ぶ。1996年よりプロデューサーとしてサントリー、ベネッセ、日本生命、パナソニック、KDDIなどを担当。2006年独立。長篇映画「わがおもいの松林座」を監督。2008年パインフォレスト・プロデューサー・アンド・カンパニー設立。パインフォレストの名は曾々祖父が1888年に創立し、1962年に焼失した松林座に由来するもの。その再復興事業である。

森さん、素晴らしい機会を与えて頂き、
どうもありがとうございました。

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